南極観測船で作った折り畳みテーブルと椅子

自作のテーブル

自宅にあるテーブルです。砕氷艦(南極観測船)に搭載している大型ヘリコプターのパイロットをしている時に、艦内でべニア板を加工して作りました。

砕氷艦(南極観測船)「しらせ」

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私が乗艦して4回南極に行った5002砕氷艦「しらせ」です。一面氷で閉ざされたリュッツォホルム湾を昭和基地に向けて砕氷航行中の写真です。私が操縦するヘリコプターから撮影しました。ところで、南極観測事業は文部科学省が中心となって実施していて、そのうちの輸送部門を防衛省海上自衛隊が担当しています。船の呼称を文部科学省では「南極観測船」、防衛省では「砕氷艦」と呼んでいます。どちらも正しいです。一般的には報道でも「南極観測船」が使われていて、馴染みがあるかもしれません。

南極観測船搭載の大型ヘリコプター

南極で飛ばした大型ヘリコプター「S-61A」です。「しらせ」には2機搭載して南極に行っていました。現在運航している「しらせ」は、私が乗船した5002「しらせ」の後継で5003「しらせ」です。ややこしいですが、船の名前は一般公募です。「しらせ」の後継は、また「しらせ」が良いと考えた応募者が多かったんですね。 2つの「しらせ」はほぼ同じ大きさで、いずれも3万馬力ですが、5003は物資の搭載方法がコンテナ式となり効率化が図られた他、搭載ヘリコプターも 米国シコルスキー社設計で三菱重工ライセンス生産の「S-61A」から、ヨーロッパのアグスタウエストランド社製の「CH-101」になって 輸送力が向上しています。

ヘリがヨーロッパ製に変わると、整備のため使う工具もアメリカの「インチ」単位から世界標準の「ミリメートル」に変わるので、搭載する工具も変える必要があったんですよ。 アメリカが世界標準を使わない「わがまま」はいつまで続くのやら。 車に使う工具もアメリカ製の乗用車は「インチ」なのかな!? 話が脱線しました。

写真は南極観測船の後方からアプローチして、着艦寸前のヘリコプターです。ヘリコプターの後部では、カーゴドアを開けてクルーが周囲の状況をパイロットとともに確認しながら、「しらせ」に近づいています。

「しらせ」の幹部居住区

「しらせ」の中の私の部屋です。幹部は2人部屋で、2段ベッド、ソファ、ロッカー、机があり、3畳ほどのスペースがありました。そこに毎週木曜の夜に「木曜会」と称して、観測隊員や「しらせ」乗員の仲間を呼んで、私が買い込んで準備したスピリッツでカクテルをふるまったり、みんなが持ち寄ったビールやウイスキーを飲みながら、南極オペレーションに向けての情報交換をしていました。部屋が狭いので、来客がある時だけテーブルや椅子が必要で、普段は片付けられる折り畳み式の物を作ったわけです。 「木曜会」 は毎週大盛況で、最大収容人数は13人でした。私はヘリコプターの特性や観測隊員が搭乗する時の注意点やオペレーションの助言、観測隊員はペンギン、鉱物、オーロラ、海洋生物などそれぞれ専門に研究する研究者や、昭和基地で施設や雪上車を整備する隊員など、いろいろな観測隊員が自分の仕事について、それぞれ興味の湧く話を素人でも判るように、グラスを傾けながら話しました。41次までは東京の晴海ふ頭を離れれば、毎夜飲酒が許可されましたが、護衛艦で飲酒による大きな不祥事が起きてしまい、その後は「しらせ」も南極の昭和基地に接岸してエンジンを止めるまでの航海中は、禁酒となりました。観測隊員と飲みながらいろいろな話をする機会がなくなりましたが、これも時世の流れですね。

テーブルと椅子の構成

テーブルと椅子は、3枚のべニア板で構成されています。使わない時は分解して板になれば、スペースを取らずに格納できるわけです。

「脚」は2枚のべニア板をクロスして組むことにより、簡単に組み立てられます。そして、天板になる板を上に載せれば完成です。

今の活用法

南極で活躍したテーブルと椅子は、現在自宅で重宝しています。写真は、焼酎が2升入る「かめ」を置く台として使っている椅子です。「かめ」はかなり重たいけれど、椅子がシッカリしていて、上に載せても安定しています。焼酎は瓶から「かめ」に移すとまろやかになって、うまみが増すんですよ。蛇口もついているから、手軽にグラスに注げて、ついつい飲み過ぎてしまうのが難点かな! この「かめ」は鹿児島勤務で通った居酒屋の店主から頂きました。百貨店などで、5合くらいが入る可愛い焼酎サーバーが売っていますが、こんなにデカいのはさすがに見たことが無いですよね。さすが、焼酎の本場の鹿児島です。

私が参加したのは、32、33、41、42次南極観測支援です。今は62次だから20年も経ってしまいました。それでも南極観測船内で作ったテーブルと椅子は、思い出とともに現在でも自宅で輝いています。ではまた

横須賀の風景

新年になり、正月中は晴れて富士山が良く見える日が何日もありました。

最近、テレビで取りあげられることが多い「馬堀海岸(まぼりかいがん)の直線道路」通称「マボチョク」です。私が高校生だった頃に海を埋め立てて道路や住宅地が造られました。私が子供の頃の京急「馬堀海岸駅」は、駅を降りるとそこはすぐに海水浴客で賑わう海岸でした。今の「馬堀海岸駅」の周囲はスーパーなどの商業施設や住宅で埋め尽くされてます。「マボチョク」ができたての頃、まだ道路が開通していなかったから高校生の友人たちと、自分のバイクでこの直線を走って最高速を競い合っていました。のんびりした遠い昔の出来事です。

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