横浜駅が海だった頃から営業していたという、旧東海道に1軒だけ残る老舗料亭に行ってきました

自衛隊を定年退職してからずっと東京で働いていた同期が、いよいよ仕事を辞めて自宅のある青森に帰ります。 同期の中でも彼とは深い付き合いをしてきたので、彼が東京を去る前に二人で美味しい料理と酒と会話を楽しみたいと思いました。 飲み会の場所として妻がアドバイスしてくれたのが、以前妻と訪れたことがある横浜の老舗料亭です。 横浜駅西口を出て、旧東海道へ7~8分ほど歩いた場所に建つ1863年創業の老舗料亭です。

1863年に料亭が創業した当時の横浜はというと、現在横浜駅がある周辺は海でした。横浜駅から北に600m、10分くらい歩いて階段を上ると旧東海道の道に出ます。その高台に料亭があります。

料亭 田中家

入り口の看板には「田中家」と記されています。

田中家の歴史は、安藤広重の「東海道五十三次」の「神奈川宿」にも登場する東海道の急坂沿いの腰掛茶屋「さくら屋」を創業者が買い取り、旅籠料理屋「田中家」に改め創業したことに由来します。 

田中家が飛躍的に繁盛したのは向かいの本覚寺に米国領事館が置かれ、多くの外国人が接待や迎賓館として利用したからです。当時の田中家には坂本龍馬亡き後のお龍さんが仲居として働いており、彼女が英語を話せたため、大勢の外国人を受け入れられたそうです。 (出典:田中家パンフレット)

同期と私

同期と二人で会席料理を味わい酒を酌み交わしながら、昔の話で盛り上がりました。 彼をもてなすのにこの歴史ある料亭を選んだのは、彼が歴史好きで趣味が日本刀のコレクションだからです。

上品な器に盛られた料理が、絶妙なタイミングで次々と配膳されてきました。箸やコースターにも「文久三年 田中家」が記されています。

私は9年前に妻と来た時頂いたパンフやクリアーファイルを保存していました。 部屋に通された時「そのパンフに紹介されていた五代目女将の平塚あけみさんは、今でもお元気ですか?」と私が仲居の女性に尋ねたのを女将が聞いたのでしょう。 宴もたけなわなになった頃に、五代目女将の平塚あけみさんが、田中家の歴史資料を持って部屋に来てくれました。 思いがけず女将からとっても貴重な話をお聞きすることが出来、また我々が経験したパイロットの仕事や同期の趣味の刀についての話でも盛り上がり、あっという間に予定の2時間が過ぎました。

歴史資料館のような豊富な資料です

田中家の2階へ上がる途中の壁には、幕末から明治の料亭内外や常連だった著名人の写真が展示されています。

まだ横浜駅周辺が海だった頃の貴重な写真です。

田中家の最盛期には200畳の大広間が2間あり、陸軍や海軍関係者が1000人以上で利用されていたこともあったそうです。

こちらも田中家最盛時の貴重な写真です。 最近では来日する外人観光客も、日本の古き良き時代の自然や歴史的建造物に興味がいくようです。 横浜も「みなとみらい」などの近代的なビルや商業施設の発展ばかりに力を注ぐのではなく、歴史のある田中家のような建物の保存にも力を注ぐべきでしょうね。

私たちが女将の話を熱心に聞いてくれたお礼とのことで、お土産に田中家から焼酎を頂きました。

私と妻が希望した通り、歴史ある田中家に招待した同期は大喜びで店を後にしました。ではまた

後日、同期から海産物が届きました

田中家で酒を酌み交わした同期が、立派な海産物を宅急便で贈ってくれました。他には当日ワインを頂きました。義理堅い仲間です。

Pocket
LINEで送る
Facebook にシェア

コメント