使っていなかった椅子の活用

1階のテーブルと椅子

妻は肌トラブルのため、紫外線を浴びないように一日中自宅で過ごすことが多いです。季節が真夏になってからは、エアコンを付けるほどではない時間帯は2階より室温が低い1階でくつろいでいます。それも、居間よりダイニングの方が涼しいのです。しかし、ダイニングテーブルの椅子はくつろぐには不向きなので、何とかならないか、家じゅうを見回して考えました。リビングにある椅子では、低くてテーブルとはマッチしません。

もっとリラックスさせたい

もっとくつろげそうな椅子を見つけました。親父が生前使っていた椅子です。今は1階和室の隅に置いて座布団が上に何枚も重ねて置いてあります。要するに、今は椅子としては使っていません。

ずっと使っていなかった椅子なので、清掃して日に干しました。 よく見るとリクライニングしてフラットに出来るほど背もたれが倒れます。そのため、後ろに椅子が倒れないように足が後方に長く伸びています。

フルフラットにするような使い方は親父もしていませんでした。これからも少し背もたれを傾けるくらいの使い方なので、後ろに伸びた「椅子の足」は使う上で不便です。ダイニングで使いやすくするため、椅子の後方10㎝、前方5㎝をカットしました。椅子がすごく重くて移動が大変なので、キャスターを付けることにしました。

ホームセンターを2軒回って、使いやすそうなキャスターを買ってきました。タイヤはフローリングの床を傷めないように、固いプラスチックではなく、ゴム製を選びました。2個はストッパー付きの物にしています。

椅子にキャスターを取り付けました。重かった椅子が嘘のように軽く動かせます。キャスターは4個で1600円したけれど、回転部にボールベアリングを使用しているから、動きが非常に滑らかです。ストッパー付きのキャスター2個は椅子の前方に取り付けました。簡単に車輪を動かなくできます。

肘掛けがあるし、椅子の高さを調節する機能があって、妻は大変喜んでくれました。ダイニングの椅子とは全然違って、くつろげるようです。ではまた

横須賀の風景

観音崎にある防衛省の施設です。周囲は柵に囲まれて一般人が中に入ることはできません。ただし、コロナ騒ぎが起きる前までは、毎年元旦の早朝だけ入ることが出来ました。そう、ここから初日の出を見ることが出来るのです。ところで、一般にはあまり知られていませんが、遠くに石碑が見えます。

カメラを望遠にしてみました。石碑に「鎮魂之碑」と書いてあります。1988年(昭和63年)7月23日に潜水艦なだしおと遊漁船第一富士丸が衝突して、30名が亡くなりました。碑文には30名の遭難者の氏名が書かれています。当時の報道は意図的に自衛隊を非難したり、誇張や誤報が目立ちました。救助された富士丸のアルバイト女性が「なだしおの乗組員は見ているだけだった。海上に漂流していた人が次々に沈んでいった」などと証言したけれど、死者30名のうち28名は海中の船内から見つかりました。次々に沈んでいった人など最初から存在しませんでしたが、テレビ報道は繰り返し、この女性のコメントを使っていました。あとで間違っていたと判っても、訂正することは無かった。 最近知床で観光船の沈没があり、ずさんな運航態勢が問題視されていますが、第一富士丸も無理な改造をしていたり事故当時定員オーバーで客を乗せて、潜水艦と衝突するとあっという間に沈んでしまったりと、大きな問題がありました。 その時自衛隊は防衛庁でしたが、その後防衛省に格上げとなりました。 自衛隊の社会的地位も格段に向上しているのは、我々が災害派遣や救難活動などで、地道に努力してきたことが世間に認められたのだと思います。

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